プロフィール



東京下町に生まれ育ち、ネコの額ほどの庭に植えてある木とそこに生息している虫をじぃっと眺めながらのほほんと成長し、スーパーカーブームの洗礼に直撃されて将来はエンジニアと決心しながらも、高校時代に物理学に挫折した反動で生物学に興味を持つようになりました。思い返すと、近くを流れる荒川の河川敷で干出した干潟に入ってゴカイをとるなど、比較的身近に水環境と接していたような気がします。

東邦大学理学部生物学科の岡田研究室(生物物理学教室/植物生理学教室)に籍を置き、卒業論文〜博士論文までの6年間を国立環境研究所の稲森研究室(陸水環境研究室/水改善手法研究チーム)で過ごし、微生物の培養と捕食被食関係をはじめとする生物間相互作用の研究に従事しました(微生物農薬の水圏生態系における挙動解析に関する研究、東邦大学博士学位論文、1994年)。博士課程の時には教職免許を活用して東京都の公立中学・高校で非常勤教員として理科の教鞭をとっていました。また部活動(少林寺拳法部)にも精をだし、大学院時代も練習(&宴会)に積極的に参加していました。

博士号取得後、岡山県庁に就職し、岡山県環境保健センター(環境科学部水質科学科)にて5年間、湖沼(児島湖、ダム湖など)・河川(県内三大河川など)・海域(瀬戸内海)の現地調査に携わりました(児島湖における植物プランクトンの種構成と季節的消長、水環境学会誌、22巻、1999年、など)。特に瀬戸内海に関する調査研究では、岡山県内のみならず瀬戸内海を取り囲む府県ならびに国立機関の研究者の方々と交流をもつことができ、大変勉強になりました(瀬戸内海における環形動物(Annelida)の生息状況と底質環境の関係、水環境学会誌、21巻、1998年、など)。また、国立環境研究所の客員研究員として、環境保全のためのバイオテクノロジーの活用とその環境影響評価に関する研究に参画しました。

千葉工業大学に赴任してからは、土木工学科の瀧研究室(衛生工学研究室/水環境システム研究室)にて、土木工学という分野の中で生物学・生態学という自分の専門を如何にして活かしていくかを常に意識して研究・教育に取り組んできました。幸か不幸か環境問題がクローズアップされてきており、生態工学が注目されるなか、学科の中で生物を扱えるのが自分ひとりでしたので、居場所を見つけることができました。学科再編で生命環境科学科に異動し、本来の専門分野に戻ったかなと感じています。

現在は「生物圏環境研究室」という看板を掲げ、マイクロコズム等による実験生態学と野外生態系でのフィールドワークを両輪として、アオコ発生機構の解明および抑制技術の検討(海浜公園池における水の華発生機構と環境要因、土木学会海洋開発論文集、23巻、2007年)、底泥処理による環境修復(底泥処理における環境修復強度の生物多様性に及ぼす影響、環境情報科学論文集、21巻、2007年)、生物指標による水域環境の評価(房総フィールドミュージアムを活用した環境教育(2)千葉県清和県民の森(渓流公園・豊英大滝)における生物圏環境調査型フィールド実習、第35回土木学会関東支部技術研究発表会講演集、2008年)、マイクロコズムを活用した地球環境問題の検討(微生物生態系の構造変化に及ぼす環境温度上昇の影響、千葉工業大学研究報告(理工編)、55巻、2008年)、遺伝子操作有用微生物を活用した環境修復技術(DNA組換え体の生存に及ぼす藻類代謝産物の影響、千葉工業大学研究報告(理工編)、55巻、2008年)など、特に水圏生態系を中心とした生物間相互作用の観点から環境保全・環境修復について研究しています。

2003年に学科再編により土木工学科から生命環境科学科へ所属が変わり、同時に学生の質も変化したように感じます。担当する講義内容(水圏生態学・環境多様性科学・地学実験及び実習(生物調査)など)の影響からか、野外調査を期待して当研究室への卒論配属を希望してくる学生が増えてきているため、研究テーマもそれまでの室内実験や培養実験から水質・生物調査等のフィールドワークを伴う研究にシフトしてきています。毎月複数回は、少しくたびれたジープに学生と機材を満載して、手賀沼や九十九里浜などの実湖沼へ調査に出ます。野外での共同作業では相互のコミュニケーションが不可欠なので、研究室の雰囲気が明朗(かつ豪快)になってきました(本来は「大胆かつ繊細に」が重要なのですが・・・)。

生態系という環境の変化に応じてその中で生息する生物がどのように変化(進化)していくのかという問題に興味をもっています。地球温暖化の進行が懸念されていますが、このような大規模な環境変化に対して、我々ヒトを含めた生物および生物相はどのように対応していくのでしょうか? 地球生態系の未来予想図を描いてみたいです。(タイムマシンがあったらいいなあ)







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